館名「七重八重」の由来
室町時代の武将で、後に江戸城を築城した事で知られる「太田道灌」。
鷹狩の際突然の雨に、蓑を借りようと農家に立ち寄った。
その家の娘が、蓑ではなく一輪の山吹の花を差し出した事に道灌は腹を立てその場を去ったが、後に兼明親王が詠んだ古い歌で「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」に掛けて「家が貧しくて、蓑(実の)一つ持ち合わせが無い」事を奥ゆかしく答えたのだ、と言うことを知り、農家の娘の「山吹の花に託したまごころ」を理解出来なかった己を恥、以後太田道灌は歌道に励んだといいます。
当館の館名は「谷川ホテル」として昭和三十七年創業致しましたが、平成十一年、創業者の心意気を継ぎつつ「人の心に伝わる精一杯のまごころを大切に」をテーマとして、山吹色の暖簾一枚を玄関に下げ、「七重八重・・・・」の逸話の娘の心を忘れないよう館名にたくしたものでございます。
大女将:奥村雅子七重八重は、山懐に抱かれた鬼怒川温泉の川沿いに佇む宿
以前は創業の折に御恩を受けた方々のお名前から一文字ずつ頂戴した【谷川ホテル】として営業しておりましたが、名前の響きから群馬の谷川温泉と間違われてしまう事が有った為、平成十一年、【静寂とまごころの宿七重八重】と館名を改めて再出発を致しました。
昭和三十七年の創業当時は現在と鉄道の駅の位置が異なり、当館は駅から遠く周囲には何も無い町の外れだったそうです。
その様な場所で宿を営む事となりましたのは、創業者の初代女将、鈴木をつよがこの場所からの眺めの美しさに痛く感動し「是非ともこの景色を、より多くの方々に見て頂きたい。」という強い思いが始まりで御座いました。
お陰様で三年後の昭和三十九年十月に鬼怒川温泉駅の移転があり、今では駅から徒歩五分と恵まれた環境となりました。
町並みも徐々に変わり、お越し頂くお客様の層も団体旅行から個人旅行へ女性グループや海外からのお客様の増加等、時代と共に変化致しましたので現在七重八重では芸妓・コンパニオンの受入れをしておりません。
個々のお時間を静かにお寛ぎ頂きたいと考えております。
栃木は海無し県でございますが、山・川の恵み溢れる食材が膳を彩ります。
山から注ぐ清流に育まれた岩魚、古来霊場・日光の僧侶達を貴重なタンパク源として支えてきた湯波・清らかな水と大地に根付いた稲穂がお日さまと男体下ろしに撫でられた県産米コシヒカリ。
滋味に富むお料理で英気を養って頂きたいと願っております。
鬼怒川温泉の泉質はとても肌への当たりが柔らかいお湯でございます。
湯船に浸かり渓谷美を愛でながら心をほぐし体の芯まで温めて体の凝りも解きほぐして下さい。
お風呂を出てからもしばらく体温が温かく保たれ汗をかきますので、デトックス効果も期待されます。また、湯上がり処では七重八重の天然水がお飲み頂けます。
汗で流れ出た水分を補いながら窓からの景色もお楽しみ下さいませ。
大女将・奥村雅子が亡き夫二代目社長・奥村祐の掲げた「見どころは日光 まごころは谷川ホテル」の心意気を「見どころは日光 まごころは七重八重」として受け継ぎ、従業員一同、お客様の旅行・休養のお役に立ちたいと願っております。
女将:奥村恵子